劇場版 機動戦士ガンダム00 A wakening of the Trailblazer

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内容的にはほとんど蒼穹のファフナーというしかない。設定面もそうなんだけど、むしろその本質が。つまり、一種の理解不能なものの入れ物として金属生命体がある。これが、昔ながらの異星人とかなら、まだ相手を理解できるかもしれない「人」だから、でも無機物生命しかも、しゃべらない存在不気味としか言えないわけだ。故に理解不能、故に人類の肌感覚からは害虫駆除以上のものになりはしない。

ただ、作品の本質はラストの英文がすべて。訳すならば"戦争で平和を保つことはできない、平和は相互理解でしか維持しえない” この言葉にすべてがあるのはファフナーと一緒。ただ、ファフナーと違ってどうすれば相互理解できるのかが抜けている。ファフナーはそこをケイ素生命体 = 土と捉え、土に触ること感覚的に理解できるはずだと結んでいる。00はイノベイターという概念を持ち出したことがかえって理解を妨げる。

相互理解に関しては、恐らく日下部匡俊氏の作品である “ガーオイズの宴” の方が数段うまくやっている。というか、ガーオイズの宴を読むべしと言いたくもなる。これに関しては昔、Weblogでも少しふれた。

作品の性格としては、描写的には「巨大ロボットもの」、内容的には「ファーストコンタクトの悲劇」といったところです。つまり、理解しあうのが困難なクリーチャーのファーストコンタクトです。

状況としては絶滅戦争の体裁をなしています。アンドリュー・バルトフェルド流の言い方をすればまさしく、戦争にルールがない状態です。ルールなんぞはなく、戦略目標は他種族の絶滅。お互いに生存を目指しているだけに悲劇としか言いようがない。状況としては蒼穹のファフナーの終盤部分に近いとも言えます。

実のところは、本当は蒼穹のファフナー Right of Leftに近いんだけどね、ガーオイズの宴はつまり、今は戦うしかないというところが。ただ、結局のところ劇場版00は蒼穹のファフナーやガーオイズの宴よりは相当に低くせざるを得ない。出来が悪すぎるからなぁ。